ドイツ・イタリアしめくくり。

Posted on January 09, 2015 by taiyo01







出会いを大切にする人と粗末にする人とでは先で手にする宝の数が違う。

ましてや日本から9000キロ離れたドイツ人との20年前の出会い。

松葉國正氏はヨーロッパに日本を伝えるべく玉鋼(たまはがね)を叩き続けた。

日本の武芸の道すべてに相手を思いやる人道があり彼の志す合気道もしかり。

2mはあろう巨人は我々以上に日本人らしく礼儀正しかった。

松葉氏は人という多くの宝を得、これからも彼をしたう人は増えていくのだろう。




ドイツのバート・ノイエンアールの静かに流れる川のせせらぎが頭に残っている。

じゅうたんを敷き詰めた並木道の赤い落葉。

この道を四季折々の風が吹き流し、通る人たちをいやしてくれる。



イタリアの富豪フランチェスコ・リカーゾリ男爵との出会いは想像をはるかに超えた。

ワイナリーの経営が一時期他社に渡りそれを買い戻して見事に再生を図った。

キャンティ・クラシコの礎を築いた先祖への面目も保ちワイン「バローネ・リカーゾリ」の名を世界に知らしめた。


ヨーロッパに刀を届けに行く?

話を聞いているうちに僕の好奇心に火が付き、足手まといは承知の上で連れて行って頂きました。

松葉先生、今回の旅、大変大変お世話になりました。






その.10)ローマの休日

Posted on December 26, 2014 by taiyo01

ここまで来たらローマまで足を延ばそうと電車に飛び乗る。

修復士の面談に丸一日費やしたおかげで、遺跡の街に着いた時にはもうすっかり日が暮れていた。

ホテルにエレベーターは無く20キロのスーツケースを一段づつ ほふく前進。

さて夕食はどこにしましょう。前後左右を見まわし、夏の夜の虫の如く明るい方に二人は向う。

ナヴォーナ広場の「ムーア人の噴水」は池の底から青くライトアップされて綺麗だ。

ヨーロッパスタイルの屋外レストランは夏ならまだしも底冷えの夜テーブルと椅子がむき出しになっていた。

そのむき出しの客引きが次から次に声を掛けてくる。

三番目の彼は我々を日本人と見抜くや日本語のメニューを持ち出し即その店に決まる。

ステーキとチーズにイタリアンパスタで充分腹は満たされた。


















さて翌日の観光であるが、昼一の飛行機に乗るにはホテルに11:00には帰って来なくてはならない。

コロッセオ闘技場は歩いて15分だと言われ地図を片手に歩いて行くことにした。

道に迷わないよう携帯のGPSで現在地を確認しながら慎重に進んで行く。

彼はつまらないと言っていたが僕は「真実の口」に手を入れたかった。

しかし行ってみると意外としょぼく想像した10分1に手を刺し込むことなく通り過ぎる。

40分歩いてまだ着かない。着かないどころか元の所に戻って来た。・・・ナビとマップを握る手が震えた。















紀元前80年に出来た闘技場。人間同士やライオン等の猛獣との格闘を5万の観衆が楽しんだと言う。

すぐ横にあるパラティーノの丘には遺跡が満載だが行きたい僕と行きたくない先生。

結局時間が足りずやむなくホテルへ退散。・・・

ギリシャでの遺跡巡りはバスで移動してましたが、ここローマは足の踏み場も無いぐらい遺跡だらけ。

工事現場の地下から遺跡が出てましたからね。…遺跡の上に遺跡が建っているのであります。

ローマはギリシャの比ではございません。

何時の日かゆっくり探索してみたいものです。



















































追記:ドイツでお世話になったグレゴアがこの23日に日向に来ました。

西村の恩返しは寿司屋での寿司責め。日向の思い出に寿司を握らせました。




















































その.9)鳩の丸焼き

Posted on December 25, 2014 by taiyo01

今日の宿泊先は向うの丘に佇むゲストハウスだと指をさす。

その敷地だけでざっと1000坪、石造りの建物は100坪はありましたね。

ここにも沢山扉があり先生が1階で僕が2階の部屋を選びました。

半径1キロに建物はなく物寂しい。何時の時代に建ったのだろうか。

長き歴史の中で幾多の戦があったのだろう。

城の中で見た中世の騎士が鎧兜に身を包み剣を振りかざし出てきたら嫌だなぁ。







































夕食はシーズンオフになっている男爵の経営するレストランをわざわざ我々の為に開けてくれた。

パンにオリーブオイルを塗って食べる習慣を真似しながら白ワインを楽しむ

パスタを伸ばしひき肉を餃子の様に包んだ料理はここにいる日本人スタッフの発案と聞き嬉しくなる

ジビエ料理の「鳩の丸焼き」。鳥肉とは違い思った以上の柔らかさ絶妙なソースに脱帽せざるを得なかった。

ディナーの終わりを告げるスイーツの甘さに頬がとろけ落ちる。

此方に来て体重が増え続けている事も忘れ、甘辛両党の僕は別腹に押し込んでいる。

































東京で松葉先生の英訳した本を見た男爵から刀の注文を受けてからのお付き合いという。

今回持って来た刀に男爵も大層ご満足のご様子。

翌朝は僕等の泊まっている館にメイドがわざわざ朝食を作りにやって来た。

クロワッサンに特別な思いを寄せた事はないが、通常の4倍はあろうこの焼きたては世界一美味い。
















今日はフィレンツェに戻り男爵の友人の話を聞くと言う。

明治時代に大量の刀が海を渡ってヨーロッパに持ち込まれ、その刀は博物館に保管されている。

男爵の友人は文化財の修復士。読んで字の如く文化財のいたんだ部分を修復する人である。

友人は鋼(はがね)で作る刀に大変興味を持ち、それを科学的に検証したい。

松葉先生が刀を作る所を10日間取材させて欲しいというものであった。

イタリア人の男爵も英語でうまく説明できず、イタリア在住25年の日本人女性が通訳をした。

しかし先生は激怒「20年かけて完成した玉鋼(たまはがね)で作る刀の秘法を公開しろは何事ぞ!」

そして修復士の意向をまさしく刀で無礼打ちにしたのであります。

もう一つ世界チャンネル「ナショナルジオ・グラフィック」取材を日程が合わないと

またしても刀でばっさり切り捨てなさった。



職人は頑固、融通がきかない、自己中心、ゴマすり何てとんでもない、先生の場合相手が鉄ですからよけいに固い。

しかし断として己を貫いたからこそ日本で18人目の無鑑査になれたのかも知れませんね。

その.8)ブロリオ城

Posted on December 23, 2014 by taiyo01

フランチェスコ・リカソリ男爵はリカーゾリ家の32代当主だ。と、先生が鼻の穴を大きく膨らませた。

日本では天皇の命により将軍が政治を司りその下の大名が諸国を治めた。

イタリアでも国王の下に日本でいう大名すなわち貴族がいた。

リカソリ家は12世紀にコスカーナ地方にあるブロリオ城の城主となる。

イタリアが統一されその2代目の首相がフランチェスコ男爵の5代前のベッティーノ・リカーゾリ

この方こそイタリアが誇るワイン・キャンティ・クラシコの生みの親なのだそうです。

何となく偉い方だという事は伝わってきます。



ホテルに迎えに来た男爵のアウディで1時間半走ると小高い丘の上にお城が見えてきた。

城壁の切れ目にある分厚い鉄の扉が男爵の持つセンサーボタンで「ギィー」と内側に開く。

城は男爵の個人所有になっており、管理人が3人此処に住んでいるそうだ。

思えばヨーロッパの城の中に入るのは初めてである

最初に入った50坪はあろう食道の広さに目は点になった。













子供の頃はここで食事をしていたそうです。




壁に中世の絵画が埋め尽くし鎧は実際に使われていたものらしい。

この日は15世紀に描かれたと思われるマリアとキリストの絵を専門家が見に来ていた。

国王と首相ベッティーノ・リカーゾリ男爵その後ろにブロリオ城が絵画に描かれてあり

国王の重鎮であったことが伺える。

部屋は全部で100敷地の中に教会もあり建物が大きすぎてとてもカメラに納まらない。





















ドイツの首相ビスマルクからベッティーノ・リカーゾリ男爵に届いた手紙です。








教会です。







3つの部屋に鎧兜・剣・槍・弓・火縄銃が大きなショーケースに陳列されておりました。

すべてこの城にあったものだそうです。








城の外壁の穴は砲弾の跡です。第2次世界大戦のおり日独伊三国同盟を結んでいたイタリアは

いち早く連合軍に降伏しドイツに宣戦布告。ドイツ軍にこのブロリオ城も攻め込まれす。お城の

爆破を命じられていたにも関わらずドイツ軍将校はこの素晴らしい歴史的建造物を壊すのは

忍びないと城を残し撤退したという。

戦後そのドイツ将校を探して回ったそうですが見つける事は出来なかったそうです。・・・いい話ですね。















中にあるのが普通ですが、幾何学模様の庭は塀の外にありました。ヨーロッパ式なのですね















ブロリオ城の全景です。




敷地は1200ヘクタール(3km×4km)。その中にワイナリーがありブドウも栽培している。

意外だったのは豊かな土より、やせた土地の方がいいブドウが出来るそうだ。

昼食は社員食堂でご馳走になったが、パスタと豆料理の一人前の量に息を詰まらせた。

ブドウからワインにして出荷するまでの工程を男爵が工場を説明しながら回ってくれた。

ブドウの出来が良い年のワインは高値が付くそうです。





従業員と一緒に食事をさせて頂きました。







貝殻型のパスタはオリーブオイルにガーリック塩コショウ味。 豆料理はトマトと豆を煮詰めた薄塩味でございます。























お城の下がワイナリーです。


その.7)イタリア・フィレンツェ

Posted on December 20, 2014 by taiyo01

ルネサンスの都フィレンツェには予定通り夕方に着きました。

石の建物の狭い隙間をぬってタクシーを走らせます。

先生がタクシン―にぼったくられた時の話を始めました。

女性ドライバーはガムをクチャクチャさせ携帯を耳から離す事はなくマナーに掛けておりますが

同じ道をくるくる回りメーターを上げたりしないでくださいね。



遠回りか近道なのか知るすべはありませんがホテルに着いたようだ。

フロントでチェクインし部屋に案内する彼女に着いて行きます。

ホテルは別棟で一度外に出てスーツケースを50m引いて行きます。

もらったマップで現在地を確認するとほぼ街の中心でした。

地図と名刺がないと迷子になった時100%帰って来れませんからね。汗

ガイドブックは持ってましたが広げて見る事はありませんでした。

ドイツでは松葉先生のお弟子さん達のおもてなしで必要なかったですからね。



風呂はシャワーが一般的ですがこの部屋には嬉しいことにバスタブがありました。

4日振りの日本式に浸かると温泉の効能があるかのように溜まった疲れが取れていきます。


「 地球の歩き方 」 のレストランガイドに載っている店に行ってみる事にしました。

一歩外に出ると、そこは中世の建物が建ちはだかり不ぞろいの石畳の表面がツルツルと光沢鮮やか。

小雨の中やっと説得した護身用の傘が本来の役目をしっかり果たしている。









広場にミケランジェロの「ダビデ像」が無造作に置かれていれば、たとえレプリカでも驚きます。

角を曲がるたびルネサンスの遺産が現われる。まるで街全体が博物館だ。

目的のレストランはオープンが7時からだと言われ、20分早くホテルを出た事を後悔した。

結局時間つぶしにウロウロしているうちに道に迷いこの店には戻って来れませんでした。
 




































評判のいい店を探す手段も手掛かりも無い我らは握り締めたダーツを暗がりに投じる。

ダーツは扉では無くウエイターの額に当たり彼の笑顔が二人を店の中へ導く。

こじんまりとしており、他に女性のグループが4人掛けに座っているだけだった。

メニューを開きローマ字読みで見つけたチキンとパスタを2種類注文する。

カルボナーラもトマト風味も日本と同じ味でフライドチキンも何ら変わりは無く美味しい。

それをつまみにイタリアワイン・キャンティクラシコがトクトク喉をうるおした。



























30分もすると狭い店が満席になる。

隣りの客人らは巨大な骨付きステーキを皿の上に乗せている。

驚く事に女性が完食し男性は半分でギブアップしたようだ。

男性は白髪で非常に品があり東洋人の様にも思える。

食べものばかりに目が行っていたが耳を澄ますと日本語が聞こえてきた。

「日本の方ですか?」と声を掛けるとにっこり頭を下げた。

男性は70過ぎ女性は一回りは下だろうか夫婦で旅行とは羨ましい限りです。

僕等も彼に比べれは若いが一般的にはおじさんである。

おじさんが二人夜のフィレンツェでワインを傾けている・・・実に絵にならない光景である。

さあそろそろ帰って寝ますか。

翌朝ホテルに男爵が迎えに来ると言うが・・・男爵とは如何なる人物なのだろう。




































その.6)寝台列車でいざイタリア

Posted on December 16, 2014 by taiyo01

これから寝台列車でイタリアに向います。むろん刀を届けにであります。

飛行機で行けばいいのとお思いでしょうが電車だと刀のチェクが無いと先生が陸を選びました。

目的地のフィレンツェには夕方着くと思われます。

出発が0:40分。真夜中の移動でございました。

北海道と緯度が変わらず体に氷を宛がわれているような感覚です。

悲しくも駅のトイレの入口にはカギが掛けられ中には入れませんでした。

待ち望む列車が来たのは更に50分遅れの1:30分でございました。



イタリアまでは乗り換えがあり、しかも乗り換えに与えられた時間は30分。

すでに50分のペナルティーを課せられているので引算すると20分足りず

過酷な試練が予想されます。

「乗り換えが出来なかったら今日中にはイタリアに着けないかも知れませんね」と

今から起こるトラブルを楽しんでいるかの様に先生が不敵な笑みを浮かべております。



過去に何度もあったらしい、時間が変わったり、ホームが勝手に変更されたり

切符に打ち込んである数字も信用してはいけないと彼は言う。

常に周りの異変に神経を研ぎすましチェックしなければ汽車での移動は困難だと。

しかし今此処には僕と先生の二人だけ、さて何をチェックしたものか。








電車に乗り込み切符に書かれた部屋を探します。

真っ暗な通路に懐中電灯がぶら下がっておりました。

ようやく番号を見つけドアを開けると暗がりに両サイド3段重ねのベットが見えます。

すでに中段まで4人が占領しており自分達の寝床が最上階である事は説明されなくても分かりました。

先生がはしごに手を掛け登ります。

「あっ…西村さん階段が取れました」・・・回りを気づかう小さな声でした。

掛けてあるフックは非常に不安定で体重の掛け方で右にも左にもカタカタと

落下を防ぐべく本能が客人のベットに足を掛けます。ロッククライミングを見ているようでした。

久しぶりの寝台列車ですが、こんなに狭かったのでしょうか

寝返りも打てずはい上がったままの姿勢で寝てしまいました。

しかしドアの開く音で目が覚めます。税関でした。今何時だと思っているのでしょう。怒。

嬉しいことは乗り換え先のミュンヘンに定刻時間に着いた事であります。

過去によほど辛い体験をしたのでしょう松葉先生の喜びようと言ったらありませんでした。

朝食は巨大なクロワッサンです。そういえばパンは何を食べても美味しかったですね。

















乗車券と時刻掲示板を確認して11ホームで待機します。

隣りに若い男女のグループがスキー道具を山の様に積み上げておりました。

スイスもオーストリアもすぐ隣ですからね。スキーがメジャーな娯楽なんですね。

駅のトイレは有料で1ユーロ(140円)のコインを入れなければドアが開きません。

ドイツ人のグレゴアが言っていたのを思い出しました 「 日本はトイレ天国 だ」

トイレから帰って来ると先生がやけに慌てております。・・「どうしたの?」

今まで隣にいたスキーヤーが消えたと言うのである。

電光掲示板を見て来ると走って行った。


「 にしむらさーん、大変でーす。ホームが15番変わりましたー。」


発車まで後5分。

ホームは4つ向うでございます。

あれ程本気で走ったのは小学校の運動会以来でございました。














オーストリア経由の移動です。車窓のから一枚 「 カシャ 」